モノづくりと人材・技術経営

バリュー・イノベーションの創造:
マーケットと対話し、長所は徹底的に伸ばせ

[2007年01月号]

新春特別企画として、東芝の最高技術責任者(CTO)、東実執行役専務に東芝の目指すモノづくりと求める人材像を聞いた。


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東芝
東実執行役専務(最高技術責任者)

アズマ・マコト 1972年東芝入社。94年材料・デバイス研究所長。以後、記憶情報メディア事業本部統括技師長、パーソナル情報機器事業本部統括技師長兼務を歴任し、99年研究開発センター長。2000年常務、03年執行役上席常務(経営変革推進本部副本部長)から、05年執行役専務(技術・知的財産グループ担当)。

 72年に東芝に入社するまで、大学院修士課程では物性物理の実験をしていた。担当教授は研究テーマの選択を学生に任せたから、何が独創的か、テーマを探し出すために1年2ヶ月を費やした事を憶えている。悩んだ末の着想は、DNAやDNAから作られる生体高分子の特別な分子構成に関して、分子生物学的ではなく、分子物性的解釈ができないかということだった。

 テーマを定め、分光器を組立て直してDNAの電子物性の研究に没頭したのが70年ごろ。近年になってDNA、ヒトゲノムなどの解明が進みDNAチップなどが開発されるのを見るにつけ、私の研究はちょっと早すぎたか、という感想を抱く。

 導電性高分子によって筑波大学名誉教授の白川英樹先生はノーベル賞を受賞したが、私も学生の当時、高分子にどうやったら導電性を持たせられるかということに興味を持っていた。着想が似ていたから、先生の受賞は他人事のようには思えず嬉しかった。

半導体との出会い
 ただし東芝に入ると企業内にその領域の仕事はなかったが、光物性を研究していた経緯から照明関係の研究部署への配属が予め決まっていた。ところが、日本でゲルマニウムやシリコンの半導体結晶の生みの親と言われ、研究所の配属面接で面接担当だった犬塚英夫主幹(当時)が私の顔を見るなり「君は照明ではなく、これから立ち上げる半導体をやりなさい」とひと言。

 最初のプロジェクトとして、半導体のデバイスのなかでも、GE、Westinghouse、RCA、Siemens、日立製作所、ソニー、富士電機などが開発に挑みながらどこも成功していなかったゲートターンオフサイリスタに取り組むことになった。このデバイスは、サイリスタではあるがゲート信号でオンオフが出来る半導体素子だ。サイリスタは扱う電力が大きく、耐圧4500V、電流は瞬時的には2400Aという規模の大電流をゆったりスイッチする。そのスイッチをゲートで実行できれば、コンパクト化とスイッチングの高速化が可能になる。しかし、シリコンウェーハ1枚がそのまま1個のデバイスになるという構造から欠陥が許されず「シリコン結晶技術が成熟するまで世の中に出ないだろう」と言われていた。当時東芝は小型しか手掛けておらず周回遅れで大型化開発に向かう状況だった。リスクが高いこともあって、新人である私ともう1人の2人だけのチームに与えられた仕事だった。

 幸いなことに半導体結晶技術が進展したことと、ビギナーズラック(初心者の幸運)も手伝って、既成概念や論文で紹介されていた手法とは全く違う手法で取り組んで開発に成功した。最初に動いたのは100Aのスイッチングで600V耐圧の素子だった。それを世界で発表すると、世界中で開発を見直す気運が高まった。東芝でも2500Vで600Aのゲートターンオフサイリスタ開発に進展し、地下鉄のエアコン制御などに導入されていった。さらにその数年後に、最終ターゲットの4500Vで2400Aの素子開発に成功し、JRの「のぞみ」に搭載された。

成功する条件
 成功したポイントのひとつは運だ。たまたまプロジェクトが立ち上がる時に出くわした。運は非常に大事だ。それから、誰もやっていない領域の仕事をするときには、むしろ既成概念がないことのほうが有利で、斬新な気持ちで取り組むことが大事。溢れるほどの知識は阻害要因にもなる。さらに細かいことまで指導せず、燃えて取り組んでいる研究者の自主性を尊重して任せきるリーダーの存在や研究室、職場の風土が有難かった。

 私の場合、入社してそれほど経たないうちに成果が出たこともあり、ほどなくプロジェクトに携わる人数が20人を超える状況になった。私は相変わらず2~3人のグループを維持したが、あとから入ってきた研究者は10人ずつのグループとなり、合計3つのグループを構成した。開発のボトルネック、課題が生じると、この3グループが競い合って取り組み、内部に競争があったことがプロジェクトを成功に導くことに寄与したと考えている。

 同様に、内部の競争環境が成果を生んだ例がDRAMだった。東芝はかなり出遅れたにもかかわらず、1MDRAMでは世界の覇権を取った。その時にCMOSとNMOS方式のどちらが主導権を取るかという開発競争が、東芝内部にあった。CMOSチームもNMOSチームも懸命に競った。この開発競争ではどちらかが勝ち、どちらかが負ける。引き分けはない。他社との競争では、一見競っているようだが、実際は両方ともあまり情報の開示がないから、どこで競争しているか分からないことが多い。これに対し、社内での競争は相手と同じグラウンドの上で競う分、刺激が強い。この競争環境はその時代のやり方としては良かったと思う。

 ムーアの法則はもともと半導体に関するものだが、実際には通信のスピード、コンピュータの処理時間、システムLSIのゲート数、ハードディスクのメモリ容量などにも年次推移の傾向が現れる。必ずしも半導体の3年で4倍という傾向でなくともそれぞれの技術で年次推移のトレンドが読めるところにこそムーアの法則の本質があるだろう。ムーアの法則によるひとつの流れは研究の大きな指針となる。東芝はそのような指針に添った開発では強い。NANDフラッシュメモリの次世代GB数、ハードディスクの次世代GB数など、次が分かっている領域では非常な強みを発揮する。

 しかし、新しい技術を開発したあとで、これをどう事業化するかでは、「Death Valley」があり「ダーウィンの海」があり、事業化への大きな関門が待ち構えていることを常に肝に銘じなくてはならない。



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