モノづくりと人材・技術経営

開発のブレークスルーは
連続のなかの非連続

[2008年01月号]

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村田製作所
坂部行雄上席常務執行役員
研究開発センター長

サカベ・ユキオ  1970年村田製作所に入社し材料開発部に所属。80年セラミック開発部課長。積層コンデンサ用高誘電率材料を開発。88年同部部長。Ni電極積層コンデンサ用誘電体材料の実用化に取り組む。92年第一コンポーネント事業部長、95年理事、2000年執行役員、03年取締役執行役員材料開発センター長。07年から現職。

 もともと科学者になりたかったが、モノをつくることも好きだった。だから、金沢大学での誘電物性の物理実験でチタン酸バリウム(BaTiO3)と出会ったことをきっかけに1970年、当時売上げ規模120億円程度で成長途上にあった村田製作所(ムラタ)に入社した。

 その頃の開発環境は、現在と比べてかなり自由度が高く、2年ごとに配属希望を申告することを許すなど、組織のなかに余裕があった。また材料開発部全員を併せてもせいぜい20名程度の規模で、私は5つに別れたグループのなかのポジスタ(PTCサーミスタ)開発チームに配属されてスタートした。

 4年後、「PTCサーミスタ以外のことも研究したい」と上司に申し出て、74年には当初より希望していた誘電体グループに移った。が、実は、PTCサーミスタ材料を開発していた最初の4年間にこそその後の開発に大きく役立つ研究をしていたことが、後になってみると分る。例えば、当時モーター起動用素子に用いるバリウムの中に一部カルシウム(Ca)を加えた経験が、その後のニッケル(Ni)電極積層コンデンサやST系高圧コンデンサの開発時に役立った。

着手は早くから
 私の研究開発生活のほとんどは、誘電体、とりわけセラミックスコンデンサの主材料であるチタン酸バリウムとの係りの中で過ぎてきた。その研究開発で、事業に対するインパクトが一番大きかったのは、75年に始めたニッケル電極積層コンデンサの開発だ。貴金属である従来のパラジウム(Pd)電極をニッケルに置き換えるだけで、電極の価格を千分の一に低減できると言われた。この積層コンデンサは2007年に世界で年間1兆個ほど生産され、このうちムラタが約4,500億個を作っている。

 最近では、2004年からテラヘルツ(THz)帯制御デバイス材料や、オルソチタン酸バリウムを使った炭酸ガスを吸収する環境対応材料としてのセラミックスを、若い研究者と一緒に開発してきた。

 企業における研究開発者にとって、一般にその活動期間に誇れる開発成果は、1つか2つといわれる。私が自らのアイデアで開発した中では、着手時期が72年のポジスタ(カルシウム添加系)、75年の中高圧コンデンサ(ST系低損失YX材)、76年のニッケル電極積層コンデンサを成果としてあげてもよいだろう。いずれにもカルシウム材を加えている。これらは製品として完成するまでに10年、20年かかったものばかりだが、いずれも30才までに着手していたことが分る。だからムラタの研究者には「思考が柔軟で先入見に捕われない33才までにいい仕事をしなさい」と語っている。それ以降の軸足は、若い開発エンジニアを押して仕事をさせる指導者の立場に移る。

生きている石
 チタン酸バリウムとの出会いがなければ、私の研究成果もなかった。大学3年(66年)のときに初めて容量温度特性を測定したときに、強烈な印象を受け「この石は生きている」と思ったほどだった。チタン酸バリウムは温度変化とともに相転移を起し、ある時点で急激に結晶構造が変わる。そのときの温度特性データの急上昇と急下降を戦時中の44年に世界で最初に測ったのは日本の小川建男氏だった。

 その後、ムラタに入って、PTCサーミスタに鉛(Pb)やカルシウムを入れる実験を繰り返した。私自身、半導体を研究していた流れから、ニッケル積層コンデンサを開発後、PTC半導体とニッケル積層コンデンサを合わせると、積層コンデンサに使ったニッケル内部電極を用いたPTCサーミスタができることを発想した。

 この発想に従って、私の部下だった新見秀明君が執念の約15年の研究の後に開発を成功させたのが内部電極と同時焼成する積層PTCサーミスタだ。この部品はいまだに世界でムラタしか作れない。頭で考えた理屈では届かないが、現場で技術屋が毎日毎日、重なる壁をひとつひとつ越えていく過程なしには到達できない成果であり、その完成を高く評価している。

アズキ色の記憶
 さて、ニッケル積層コンデンサの開発は、74年に材料開発部で上司であった脇野喜久男部長が、貴金属のパラジウム電極を安価なニッケル電極に置き換えるための開発を私に指示したことが端緒だった。内部電極を置き換えるといっても、セラミックスも還元雰囲気中で焼成して半導体化しないセラミックス材に変える必要があるから、チャレンジングな課題だった。水素ガスを用いた還元性雰囲気中で焼いて半導体化しないようなチタン酸バリウムを作れ、という指示は、当時明らかに非常識だった。

 米国ではその頃すでに、パラジウム材の価格高騰を背景として、コンデンサの名門Sprague社、Centralab社をはじめ、大学などでも電極をニッケルに置き換えるための開発が先行して進んでいた。ムラタとしてはその着手に遅れたが、それが脇野部長の決断だった。

 非常識な課題に直面した私は、還元されないチタン酸バリウムを思い巡らすうちに、1年半余り前に実験室で目撃した、アルミナ匣内でアズキ色に輝いた焼結物のことが想い浮かんだ。

 73年に私は、電気炉を用いた焼成炉室で実験を繰り返していた。カーボン粉末を敷き詰めたアルミナの密閉匣内に円板状のチタン酸ストロンチウムやチタン酸バリウムの実験試料を積み上げ、一酸化炭素ガスを用いて摂氏1,200度の強制還元雰囲気下で焼成し、試料を半導体化させる実験だった。

 私が匣を焼成炉から取り出そうとしていると、丁度、同僚のひとりも彼の試料を詰めた彼の匣を取り出して、蓋を開けるところだった。彼の匣のなかで還元して真っ黒になり半導体化した多数の焼結磁器に混じって、ただひとつアズキ色の磁器が目に止まった。

 アズキ色は半導体化していないことを物語っていた。不思議に思い、同僚に聞くと、「これは半導体化しない困った試料だ」という返事だった。私に想い浮かんだのはまさにその「困った試料のアズキ色」だった。

 私は早速、その同僚から「困った試料」の組成を聞き、そこにわずかに含まれていた添加物の構成を変更して、ほぼ2〜3週間のうちに、目指す耐還元性のチタン酸バリウムの焼結に成功した。



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