開発のブレークスルーは
連続のなかの非連続

[2008年01月号]

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米国勢の失敗から学ぶ
 ここまでは好調な滑り出しだったが、これをコンデンサにするまで8年間かかった。量産すると新聞発表したのが82年。事業として大きく伸長したのが95年だから、開発から20年が経っていた。

 先行していた米国勢はその間、市場に出荷したニッケル積層コンデンサで多数の絶縁不良事故を起し、評判を落として市場から撤退していた。私は量産に漕ぎ着けるまで様々な課題を抱えていたが、Spragure社出身のエンジニアや大学教授などのもとに押しかけては相談し、米セラミック学会その他の機会に多くの教示を得ることができたのは幸運だった。

 実用化に向けた開発は当初2人で初め、多いときでも4〜5人のチームだったから、80年ごろまで細々とした歩みだった。この間、行き詰まりを感じた私は、上司に相談し、約10ヶ月間、米国の製造拠点の手伝いに出してもらった。一度頭を冷やして戻ってくると、開発作業はペースを取り戻した。

 その後、私自身は92年から95年の間、コンデンサ事業部長として自ら開発したニッケル積層コンデンサの量産立ち上げと、シンガポール、米国への海外展開を手掛けた。このようにして量産化を開始したニッケル電極は、いまやムラタの積層コンデンサ生産の96〜97%を占め、世界でトップシェアを占める。

 私なりにこの開発作業から学んだことには、まず大きな成果を見込んであえて難しいテーマに挑戦したこと、大きなヒントが潜在的な記憶から浮かんだことが挙げられる。さらに、解決を理屈でなく実験現場から見出したこと、議論よりまず一歩を踏み出すこと、求めれば多くの人が助けてくれること、研究開発にはタイミングが重要なこと、開発よりも量産化の方が数倍難しいことも身をもって学んだ。

 研究者と工場の生産技術者との連携が欠かせず、開発初期から工場を巻き込む体制作りが大事であること、また材料を自前で造ることへのこだわりが強い製品を作ったことなどは、開発で先行しながら失敗した米国勢と、成功したムラタの分れ目だった。

 大きな挑戦には経営トップの理解と忍耐が欠かせない。米国セラミック学会で表彰を受けたことがある。この記念講演を行なった後、壇を降りたところで学会長から声を掛けられ「あなたの業績は素晴らしいが、私はあなたの社長を讃えたい」と言われた。「(開発の十数年を)我慢し通した社長こそ成果を生んだ張本人」という慧眼であり、それを聞いて嬉しかった。また、米国勢の失敗によって一度落ちた市場における同種部品の信用回復に、莫大な労力と時間がかかった経験も勉強になった。

失敗を洗い流す
 チタン酸バリウムは、長い研究開発生活の終わり近くで、私にもうひとつプレゼントしてくれた。酸化チタンとバリウムを1対1の等モルで合せるとチタン酸バリウム(BaTiO3)になるが、バリウムを2回入れるとオルソチタン酸バリウム(Ba2TiO4)が合成できる。この材料は従来うまく焼成できず、放置されていた。しかしこのオルソチタン酸バリウムは高温での安定相であり、摂氏1,000度以下の温度域では不安定な状態となる。この状態で二酸化炭素(CO2)の吸収と放出の挙動を調べて、二酸化炭素の吸収材として使用できることを発見した。

 この材料に注目したきっかけは、やはり入社5年目頃の実験室での経験だった。75年に行なった実験の調合中に、バリウムを2回間違って入れた。その試料を混合脱水し、電気炉に入れて明朝取り出すと、通常は白い粉のところをひとつの匣から青い粉が出てきた。これを失敗と思い、洗い流すつもりで水を掛けた。すると、一気に化学反応を起こし、発熱して水蒸気が発ち込めた。その印象が記憶のどこかに留まっていた。

 最近になって、京都議定書で地球の温暖化対策として炭酸ガスの削減がテーマとなり、東芝が炭酸ガスを吸ったり吐いたりするリチウムシリケート(Li2SiO4)材を2000年に学会発表していた。私は04年2月20日の午前4時30分ごろ目覚めて、突然ひらめいた。20年前のあの化学反応は、水と反応するなら炭酸ガスともきっと反応するのではないか。

 出社すると早速、部下の斉藤芳則君に、TGA(熱量計測定装置)を用いて炭酸ガス中で重量増を計って温度特性を採ってくれるよう依頼した。その結果、2週間後には、摂氏700度あたりで炭酸ガスを理論値で11% 吸収することが分った。さらに850度にまで温度を上げると、炭酸ガスを放出することも分った。

 現在もこの研究を継続中で、北陸電力の火力発電所ともタイアップして地球温暖化を防止する一助になることを目指している。

技術者の宝
 このことを創業者の村田昭名誉会長に報告すると、名誉会長からは直筆の手紙を頂いた。それには「先日新聞を見て喜しく思って、早速メモを送ろうかと思いましたが、年寄りが今更と思ってヤメましたら報告を頂きました。この発明は時流に乗った大変良い発明と思いました。これで勉んだことは失敗も一寸考え方を変えると新しい用途が生れると云う事です。私は兼ねてから今ある材料から違った特性を見出せないものかと思っていましたし、まだまだ新しい機能材料が生れてもよいと思います。」とあった。

 技術者は自分の仕事が職場や社会で役立っているという実感を欲している。84才で亡くなられるほぼ1年前の創業者のこのお便りは、私の宝物である。

夢を追う
 「モノづくり、ひとづくり」というテーマを突き詰めていくと、その人が作らなければそのモノはできない、というところにまで行き着く。モノづくりとひとづくりが一体となるのは、創業者の村田昭によれば「夢を追う」過程だ。創業者は生前、電子情報技術産業協会(JEITA)の講演で次のように語っている。「私がこの仕事を始めて今日に至る過程は、社員に夢のような難題を吹きかけたり、社員の夢に乗ったり、それが新製品として商売になるまで長い時間がかかり、その間に不況に遭ったり、経営上の失敗をして、お金のことで苦労をかけ、社員を苦しめてきました。」

 創業者は、京都の陶器屋で育ち、茶碗という差別化のしにくい家業を手伝ううちに独自性を追求する信念を固める。きっかけは「注文を多く取ろうとすれば、同業者の得意先へゆくことになり、同業者より安くしないと注文はもらえない。それでは同業も困るし、自分のところも儲からない仕事をすることになる」として同業と同じモノの量産を禁じた父の教訓だった。「同業が困ることはするな」という思想は、創業の精神としてムラタに独特のものと思う。村田製作所の創業は44年。奇しくもチタン酸バリウムの誕生と同じ年だった。

 独自性の追求は現在もムラタの中核的な理念だが、信用の蓄積、産学協同、研究開発の重視、内作へのこだわり、経営の忍耐力と科学的管理、国際化といったことは、ムラタの企業活動に浸透している。

連続性のなかの非連続
 とはいっても、間口1 間半で創業した村田製作所にも今や「大企業病」の弊害が社内で自覚されるようになり、組織風土改革への取り組みが全社レベルで進行している。私が統括する研究開発の領域でも、改めて現場主義、顧客本位、従業員の満足を徹底促進する努力をしている。現場・実験室こそ自己実現の場であること、現場に失敗はなく、現場の特異現象のなかに大発見のヒントが潜むことは繰り返し強調してよい。また顧客への提案は、気遣い・気配りという風呂敷に包んでお渡しする。研究開発に携わる技術者は職場や世の中で役立っているという実感を求めているから、それに応える支援体制を整えることなどだ。

 研究開発のイノベーションは潜在意識と関わるという意味で、研究開発は24 時間労働ともいえる。革新的な発想にいたるチャンスをものにするためには、日常の連続性の中の非連続、耐えざる実験の繰り返しのなかの特異現象や期待しなかった結果、いわゆる「失敗」の摑み直しと再実験といったものが必要だ。理屈ではなく、直感、思いつきによる非連続の発想の飛躍が、連続性のなかから連続・不連続を超えて出てくる。



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