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映画『アビエイター』のプロデューサーがHoward Hughes氏の一代記を映画化しようと準備を始めてすぐ、南カリフォルニア大学(USC)卒の航空宇宙エンジニアのJoe Bok氏は初めてハリウッドからの契約書を受け取った。普段は軍用の無人飛行機を製造している同氏はこの契約書をじっくりと読んで、いつもとは違う契約条項に気がついた。それは、映画で使用する模型飛行機が、1機ずつではなく、それぞれ2機ずつ要るという点だった。 「なぜ2機必要なのか」とBok氏(正しい綴りはBockである)は尋ねたという。「ハリウッドの映画関係者は、1機目が墜落したときのためにプロペラを回した状態で2機目を滑走路に待機させておく必要があるからだ」と答えた。 それから、Bok氏自身も極度に緊張する大作業が本格的に始まった。大胆にも従業員35人の米Aero Telemetry社の社長であるBok氏は、巨額な資金を動かすハリウッドのプロデューサーに、同じ機種を2機作る必要はない。私が作る模型飛行機は墜落しないからと言ったのである。 しかし、Bok氏にとって、ハリウッドでは必須の予備機なしで済ませるという決心は、エンジニアの根性ではなく、工学的知識に基づく綱渡り的行動だった。映画撮影スタジオでの一般的な考え方に反して、Bok氏は古典的な航空力学に従って設計し、十分な大きさと重量があればラジコン模型飛行機は墜落するはずはないと考えた。 そして、同氏と6人のエンジニアからなるスタッフたちはラジコン飛行機の世界では巨大と考えられる模型を作ろうと決めたのである。最大の機種は、Hughes氏の悪名高いXF-11偵察機で、幅9.14m(30フィート)、重量294kg(648ポンド)である。大方、Bok氏が「小型」という機種も十分大きかった。すなわち、Bok氏が作ったHughes氏のH-1Bレーサーの模型は、翼長5.49m(18フィート)、重量204kg(450ポンド)、同氏が手がけたHughes氏の伝説的な巨大木造飛行艇「Spruce Goose」の縮尺模型は、翼端間の長さが7.92m(26フィート)、重量170kg(375ポンド)だった。 「このSpruce Gooseのような大きさの電動模型飛行機は見たことがなかった」とラジコン模型飛行機の熱狂的愛好家で、Spruce Gooseの模型設計を手伝ったDon Hofeldt氏は語る。
確かに、Aero Telemetry社の模型はハリウッドでは巨大だった。ハリウッドでは普通、小型模型を使用して短いシーンを撮影する場合が多い。しかしBok氏は、特に映画の殿堂ハリウッドであることを考えて、模型飛行機の大きさが重要と考えた。 「私はかれこれ20年間ここに住んでいるんだ。映画の中で模型飛行機を飛ばそうとした人ならほとんど知っているよ」と言う。同氏は、1980年代に南カリフォルニア大学でフットボールをし、航空宇宙工学を修めて以来、この土地に住みついている。「どの模型飛行機も墜落したし、どれも安っぽい偽物に見えた」と同氏は言う。 しかし今回、Bok氏は、偽物に見えない模型飛行機を目指した。そのために、同氏自身とスタッフにかかるプレッシャーは大きかった。ハリウッドのお偉方たちは、Bok氏の安全策なしのやり方に気付いて、失敗した場合にペナルティを課すぞと脅迫した。 「彼らは、我々が撮影日に姿を見せなかったり、遅れたり、模型飛行機が動かなかった場合には、出演者や機材など400万ドル分が無駄になると説明した」とBok氏は言う。「プレッシャーが大きくて、これまで請け負ったどの軍隊の仕事よりも深刻だった」(同氏)。
ハリウッドの圧力鍋 大きな模型飛行機ではあったが、途中で当初の契約内容よりも仕事が複雑になり、しかもそれをほとんど不可能なタイムリミットで完成しなければならないという制約がなかったら、Aero Telemetry社はこの仕事をうまくこなすことができただろう。同社のプロジェクトが、Hughes氏の不運の偵察機XF-11の縮尺模型を作り始めたばかりの時だった。『アビエイター』の撮影に使用していたH-1レーサーの実物大模型機が墜落し、機体が大破したうえ、その模型機のオーナーまでもが命を落としてしまった。この事件のために、同社は突然、当初よりも大きな役割を担うことになった。事件のショックも冷めやらぬ2003年8月、プロデューサーたちはBok氏の元を訪れて、既にスタッフが製造中だったXF-11模型機と並行してH-1の縮尺模型機を作ってくれないかと聞いた。 「私はプロデューサーに、『本物に見えて、しかも本物とくらべても遜色なく飛べる大きな縮尺模型機を作らなければならない』と話した」とBok氏は語る。 契約後、Bok氏とスタッフは一時的にXF-11を棚上げにしてH-1レーサーに取りかかった。それが、最優秀作品賞ノミネートされた作品の最も重要な模型飛行機になる可能性があったからだ。契約が成立して数時間後には、Aero Telemetry社のスタッフはH-1の3次元CADモデルを作り始め、その後、発泡体ブロックを削り出して胴体を作り、翼用に、木材とカーボンファイバー製の箱桁を取り付けた。Bok氏は、この発泡体ブロックからできた胴体にこの模型の外観を彫り込むため「彫刻家」を雇い、さらに桁構造の翼に、カーボンファイバーと樹脂類を積層するため、サーフボード・メーカーのプロフェッショナルに依頼した。翼用金型の設計には米Robert McNeel & Associates社の3次元モデラー「Rhinoceros」を使用し、米SoarSoft Software社の「CompuFoil」を使って翼を完成した。 「一連隊の彫刻家がこの作業にあたった。削り出しが完了すると、彼らはその上をグラスファイバーで覆った」とBok氏は語る。Aero Telemetry社では全部で6人のエンジニアがこのプロジェクトに従事した。設計エンジニアが1人、油圧エンジニア1人、ソフトウエア・エンジニア1人、電気エンジニア2人である。その他、エンジン用旋盤工2人、フライス工2人、そしてコンピュータ数値制御(CNC)機械に1人を雇用した。 Bok氏のスタッフは、XF-11とH-1レーサーの両方に使用する格納式の着陸装置が設計上の最大の課題だと考えた。これらの模型飛行機は、ホビー用飛行機とセスナ機の中間に位置しており、市販の着陸装置で条件を満たすものはない。 「使えるものは見つからなかった」とAero Telemetry社の機械エンジニアであるButch Fleck氏は指摘する。同氏はBoeing 747やDC-9の着陸装置を設計した経験もある。「一般的でシンプルな、しかも着地の衝撃に耐えられる強度を持つ着陸装置が必要だったが、そんなものはどこにもなかった」(同氏)。 こうして、必要に迫られて、スタッフは着陸装置を一から作ることにした。H-1レーサーには9.1kg(20ポンド)の格納型ウイングギアを二つ使用した。それには米Parker Hannifin社、Oildyne Divisionの14MPa(2000psi)、24Vの油圧ポンプが使われ、直列に接続した1対の12V鉛酸蓄電池で駆動する。この油圧ポンプで、Aero Telemetry社のスタッフが特別に加工した直径12.7mm(0.5インチ)のリニア油圧アクチュエータを作動させて着陸装置の車輪を駆動する。 同社のエンジニアによると、このギアの設計が非常に難しかったが、2人のエンジニアと4人の機械工が1日18時間働いて4週間でこのギアを完成させた。これがうまく作動しなかったなら、飛行機は不時着することになり、撮影が何カ月も遅れる可能性があった。「ハードランディングと重い機体を支えなければならなかった。ここで失敗していたら、すべてが中断ということになっていただろう」とFleck氏は言う。
伝動装置の課題に遭遇する「狭間」プロジェクト このプロジェクトが商用機とホビー機の世界の間に位置する「狭間」にあることから、同社のエンジニアはエンジンや電気モーター、ギアボックスなどの伝動装置なども自作しなければならなかった。 たとえば、H-1レーサー機では、より大きなパワーを得るために径を広げた二つのシリンダを持つ360ccの2サイクル・ガソリンエンジンを使用した。Aero Telemetry社のエンジニアは、より大きなパワーを得るため、特別の排気システムや、ギアボックスも設計した。 しかし、従来のラジコン機との最も大きな違いは、Bok氏が、幅7.92m(26フィート)、重量170.1kg(375ポンド)のHercules、すなわち「Spruce Goose」に電動モーターを使用したことだ。ガスを使用する模型機種を購入して電動に改造しているラジコン飛行機愛好家のHofeldt氏とともに、同社は、同飛行機の八つある16インチのプロペラを駆動するためのシステムを開発した。 最後に、Aero Telemetry社は、小型のブラシレス直流モーターを8個採用した。それぞれ、ニッケル水素電池20個からなる小型バッテリー・パックで駆動する。こうして、十分な推力を得てロングビーチ港の水面から木造の機体を浮上させることができ、この港で初飛行を撮影した。 「港のはしけでは衣装を着けた300人の出演者たちが模型飛行機の離陸を見ていた。それは素晴らしい光景だった」とHofeldt氏は回想する。 同様に、飛行機の制御に遠隔操作を使用したことも重要な点だった。『アビエイター』のプロデューサーは、最初から、無線操縦の模型飛行機を俳優たちが見ている真上で飛行させると言った。操作ミスは致命的で、特に180kg(400ポンド)〜320kg(700ポンド)の重量級の模型飛行機を飛ばすのは見物人の命にかかわる問題だった。 まるで「巡航ミサイルが飛び込んでくるようなものだろう」とBok氏は言う。 模型を制御するために、Bok氏は軍用の送受信機を採用した。カスタム設計の無線機を拡張し、通常の軍用無線周波数(1.4GHz)で動作させた。高い周波数を使用したのは、電磁妨害への耐性が強いためである。 独自に設計した制御システムを使うことで、どの模型も当初の期待値を上回ったとBok氏は言う。XF-11が2003年11月21日に処女飛行を行い、その2日後にはSpruce Gooseがガタガタと音を立てながらロングビーチ港上空を飛んだ。 「1機も墜落しなかったし、技術的な問題は一つもなかった。ほんの一瞬たりともコントロールを失うこともなかった」と同氏は言う。 さらに、Aero Telemetry社のH-1レーサーは、2003年11月4日にカリフォルニアの砂漠地帯で重要な飛行を成し遂げた。それは、同社が映画のプロデューサーと契約を交わしてから3カ月足らずのことだった。Bok氏が作製した機種の飛行シーンは、コンピュータ制作のいわゆるCGによる模型飛行機や、地上の場面用の飛ばない静止模型とともに、映画のなかで重要な役割を果たした。最終的に、Bok氏のH-1Bは、時速257.4km(時速160マイル)で飛び、歴史上に残る過去最高の記録を出した。これは有人、無人を問わず、今まで製造された2分の1の模型飛行機の最速記録である。 「ラジコン模型はこの映画を成功させるための非常に大きな要素だった」と『アビエイター』の制作総指揮者であるChris Brigham氏は言う。XF-11やHerculesの飛んでいる場面も、CG模型とともに映画で使われた。 Bok氏は、同社の模型飛行機が巻き起こした反響は、これまでの5年間、CGに急激に傾いていたハリウッドに長く影響を与えるだろうと考えている。同氏は、現在、準備段階の映画『Flags of Our Father(小説の邦題『硫黄島の星条旗』)』で模型飛行機を使うかについて、スティーブン・スピルバーグ氏やクリント・イーストウッド氏と交渉中なのだという。 「これは画期的なことだ。今までハリウッドがこんな大規模な模型を使ったことはなかった。この種の特殊効果の手法が変わりつつあるからだ」とBok氏は言う。
シニア・エディターであるChuck Murray氏の 連絡先:charles.murray@reedbusiness.com
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